杉並聖真ルーテル教会

マルチン・ルターの宗教改革の流れを受け継ぐプロテスタントのキリスト教会です。

合同礼拝式について

10月26日は、竹の塚ルーテル教会で宗教改革記念の東京分区合同礼拝式が行われるため、杉並教会での礼拝式はありません。

会場: 竹の塚ルーテル教会 (足立区伊興3-18-7)
 日時: 10月26日 11時 開始

牧師不在の礼拝式について

牧師は、飯能ルーテル教会の責任教職を兼ねており、奇数月の第2日曜日に飯能教会で司式・説教を行います。そのため、当日の杉並教会の礼拝式は、信徒のみで守ります。

11月9日(予定)、1月11日(予定)

十人の皮膚病患者

11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。12ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。14イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。17そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

1. 信頼して出発した十人

イエスさまの一行がエルサレムへ上る旅の途中、サマリアとガリラヤの間を通ったとき、ある村に入ると、十人の人たちが出迎えました。彼らは重い皮膚病を患っている人たちでした。彼らは遠くの方に立ち止まったまま、《「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」》(13)と声を張り上げました。

遠くから叫んだのは、彼らは人に近づくことを許されていなかったからです。「重い皮膚病」と訳されているその病にかかると、その人は「汚れた者」とみなされます。この病気にかかった人が道を歩く時には、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と声を上げることが定められていました(レビ13章45-46)。人々が誤って触れないようにするためです。また、この病気にかかった人は、人々の居住地区に住むことを許されませんでした。人々が住んでいない、集落の外に住まなくてはならなかったのです。それゆえに彼らは遠くから叫んだのです。

「憐れんでください」と叫んだのは、「憐れんでくださる」と信じていたからでしょう。彼らは人々から汚れた者と見なされ、忌み嫌われてきました。しかし、彼らは、イエスさまは私たちを憐れんでくださる、私たちを見捨てず、必ず憐れんでくださると信じたからこそ、遠くから大声で叫んだのです。

彼らがそう信じたのは間違いではありません。イエスさまが活動を開始して間もない頃のこと、ある町にやはり重い皮膚病にかかった人がいました。その人は遠くから叫んだのではなく、大胆にもイエスさまに近づいてひれ伏し、こう言ったのです。《「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」》(ルカ5章12)。周りにいた人たちは身を遠ざけたことでしょう。しかし、なんとイエスさまは、汚れた者と見なされているその人に手を伸ばして触れて、言いました。《「よろしい。清くなれ」》(ルカ5章13)。するとその病は癒されました。確かにイエスさまはその人を憐れんでくださったのです。

そんなイエスさまの話をこの十人も伝え聞いていたのでしょう。人々が汚れた者と見なそうが、忌み嫌おうが、イエスさまだけは憐れんでくださる。彼らはそう信じて叫んだのです。

するとイエスさまは彼らにこう言われました。《「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」》(14)。しかし、彼らが期待していたのは、イエスさまがその手で触れてくださり、その場で癒してくださることだったでしょう。

祭司たちに体を見せるのは、社会復帰のための手続きです。この病気にかかると隔離されて通常の社会生活が送れなくなります。ですが、この病気が治ったときは、再び社会に戻ることができるのです。その判定をするのは祭司たちです。彼らが調べて、治っていたら清めの儀式を行います。その手続きを経て、癒された人は社会に戻ることができるのです。

けれども、この十人はまだ癒されていません。病気が治っていなかったら祭司に見せても意味がありません。にもかかわらず、イエスさまは彼らに、祭司たちのところへ行けと命じました。「信じなさい」ということです。

彼らはイエスさまに「憐れんでください」と叫びました。憐れんでくださると信じていたからです。ならば、イエスさまの憐れみに信頼して、その御言葉に従って、具体的な一歩を踏み出すことが大事なのです。そして、実際彼らはそうしたのです。彼らはまだ癒されていないにもかかわらず、祭司たちのところに向かいました。そして、《彼らは、そこへ行く途中で清くされた》(14)のです。まさに、彼らが信じたとおりになりました。

2. 大声で賛美しながら戻ってきた一人

この14節で癒しの奇跡の話は完結します。ところが、本当に重要なメッセージは15節以下にあるようで、話はこのように続きます。

《その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。『清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか』》(15-18)。

「ほかの九人はどこにいるのか」とイエスさまは言います。なぜ十人ではなく九人なのか。なぜ一人は帰ってきたのか。彼は「大声で神を賛美しながら戻って来た」と書かれています。イエスさまは言います。「この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」。このサマリア人を際立たせているのは、ただ彼が戻ってきたということだけではありません。彼が神を賛美している姿です。彼は大声で神を賛美していたのです。道行く人々から変に思われようとも、抑えきれないほどの喜びがあったに違いありません。

彼らの喜びが病気の癒されたことについての喜び、苦しみから解放されたことについての喜びであるならば、その喜びをもって行うべきことは、イエスさまが言われたように、祭司に体を見せ、正規の手続きを経て社会復帰することです。そして、実際彼らはそうしたのです。

しかし、この一人のサマリア人は、ただ病気が癒されたこと、苦しみから解放されたことを喜んでいたのではありません。はじめに彼を含めた十人は、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と声を張り上げていました。すべての人が自分たちを忌み嫌っても、この方だけは、必ず憐れんでくださると信じて、叫んだのです。

そして、実際、イエスさまは彼らを斥けず、憐れんでくださいました。そして、確かなことは、彼らが癒された時にだけ、イエスさまが憐れんでくださったのではないということです。彼らがまだ病に苦しんでいた時に、イエスさまは憐れんでいてくださった。彼らが苦しみの中から「憐れんでください」と叫んでいた時に、既にイエスさまは憐れんでいてくださった。「祭司たちのところに行きなさい」とは、イエスさまの憐れみの言葉です。患う者たちは、初めからイエスさまの憐れみの中にいたのです。このサマリア人の喜びはそこにあったのです。だから、憐れんでくださったイエスさまのもとに帰って行ったのです。

いや、それだけではありません。癒しそのものは明らかに奇跡として起こりました。それはつまり、神の癒しです。イエスさまの憐れみを通して彼が出会ったのは、神の憐れみだったのです。彼がまだ苦しみの中にあった時から、既に彼は神の憐れみの内にあったのです。

それは彼にとっては大きな驚きであったに違いありません。重い皮膚病の人は、礼拝にいかなる形でも参加することはできません。汚れた者とされているからです。私は汚れた者であるから、神から遠ざけられているのだ、神から忌み嫌われているのだ、と彼は思い続けてきたに違いありません。そんな彼が、イエスさまを通して、神に愛されていることを知りました。彼は神の憐れみの内にあったのです。重い皮膚病であった時に、汚れた者とされていた時に、既に神の憐れみの御業はイエスさまを通して始まっていたのです。

それは彼にとって病気が癒されたこと自体よりも重大なことでした。だから彼は、社会復帰のための手続きをすることも忘れて、大声で神を賛美しながらイエスさまの元に戻ってきたのです。そこで、その人にイエスさまはこう言われました。《「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」》(19)。癒されたのは十人でしたが、救いの宣言を聞いたのは、この一人でした。確かにこの人は救われました。そして、それは病気が癒される以上の御業でした。

イエスさまのみもとで感謝と喜びに溢れて神を賛美しているこの人の姿こそ、まさに救われた人の姿です。そして、彼と同じように、私たちも招かれています。私たちもまたイエスさまを通して神の憐れみを知り、週毎に神を賛美するために主のみもとに戻ってくるのです。そして、主の御言葉によって再びこの世に送り出されるのです。

祈りましょう。天の父なる神さま。御子の生涯を通して、あなたの愛の御心を明らかに示してくださったことに感謝します。あのサマリア人にならって、私たちもあなたへの感謝と喜びをもって信仰の道を歩み進めますようお導きください。救い主、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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