杉並聖真ルーテル教会

マルチン・ルターの宗教改革の流れを受け継ぐプロテスタントのキリスト教会です。

夕礼拝について

今年度より、毎月第2木曜日に夕礼拝を行うことになりました。開式時刻は19時です。

『ガラテヤの信徒への手紙』を読み進める予定です。

牧師不在の礼拝式について

杉並聖真ルーテル教会の責任教職(高野牧師)は、来年度本年度も飯能ルーテル教会の責任教職を兼務します。奇数月の第2日曜日に飯能教会に出張するため、当日の杉並教会の礼拝式は信徒のみで守ります。

出張予定日: 5月10日

主の復活

1さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。 2すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。 3その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。 4番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。 5天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、 6あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。 7それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」 8婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。 9すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 10イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

1.畏れと喜びのダイナミズム:真実の礼拝の起点

きょうの箇所に記されたイエスさまの復活は、キリスト教信仰の核心であると同時に、「真実の礼拝」とは何か、「教会のあるべき姿」はどうあるべきかという問いに対して、極めて鮮明な答えを与えます。この箇所を導きとして、私たちが今日、神の前に集い、共に歩むことの意味を深く学びたいと思います。

真実の礼拝とは、単なる「心の安らぎ」や「道徳的な訓話を聞く場」ではありません。ここに描かれた女性たちの姿には、礼拝の本質的な緊張感が凝縮されています。「恐れながらも大いに喜ぶ」(8)という二律背反する感情の共存です。

女性たちが墓で遭遇した地震と天使の姿は、人間の理解を超えた神の介入を象徴しています。礼拝において「恐れ」が必要なのは、「自分が世界の中心ではないこと」を認める行為だからです。生ける神の前に立つことは、本来、私たちの自己中心性や罪が暴かれる「恐ろしい」事態です。もし礼拝が単なる気休めに終始しているなら、神との真実の出会いを欠いているためでしょう。

しかし、その恐れは絶望で終わりません。天使の「恐れることはない」(5)という宣言、そして復活したイエスさまの「喜びなさい(おはよう)」(9)という呼び掛けによって、恐れは大きな喜びへと変えられます。真実の礼拝とは、自らの無力さと罪を自覚する「恐れ」を通り抜け、罪人でありながらも神に受け入れられているという「喜び」へと至るプロセスなのです。

2.「空の墓」から「御言葉」へ:信仰の順序

私たちは、「納得できたら信じる」「確実な証拠(奇跡)があれば従う」という順序を求めます。しかし、この箇所が示す「真実の礼拝者」への道筋は逆です。

女性たちが最初に出会ったのは、イエスさま本人ではなく、「あの方は、ここにはおられない」(6)という天使の言葉と、「空の墓」という不在の事実でした。彼女たちは、復活したイエスさまを見る前に、まず「言葉」を受け取ったのです。

教会のあるべき姿は、この「不在の場所で語られる御言葉」を信じる共同体であることです。目に見える成果や、五感で感じる高揚感だけに頼るのではなく、聖書を通して語られる「あの方は死者の中から復活された」(7)という宣言に、まず一歩を踏み出す。女性たちが御言葉に従って「走り出した」途上でイエスさまに出会ったように、真実の礼拝は御言葉への応答、未だ見ぬ復活された主を信じて歩み出す「従順」の中にこそ成立するのです。

3.「ガリラヤ」への帰還:挫折を包摂する教会

復活の主が弟子たちに「ガリラヤへ行」(10)けと命じたことに、教会の存在意義を解く重要な鍵があります。

ガリラヤは、弟子たちが最初に召された場所であり、同時に彼らが日常生活を送っていた場所です。エルサレムでイエスさまを裏切り、逃げ出した弟子たちにとって、ガリラヤへの帰還は「もう一度やり直させていただける」という圧倒的な恵みの象徴となるのです。

教会は、「正しい者たちが集まる場所」ではなく、「失敗した者たちがガリラヤ(原点)でイエスさまと再会する場所」です。自分の信仰心や決意がいかに脆いものであるかを思い知らされた者が、自分の力ではなく、復活の主の招きによって再び立たされる。この「恵みによる再構築」こそが、教会を教会たらしめる土台です。

復活された主は、自分を見捨てた弟子たちを「わたしの兄弟」(10)と呼びました。これは驚くべき宣言です。主は彼らを法的に赦しただけでなく、最も親密な家族としての関係へと招き入れました。理想的な教会とは、この「兄弟・姉妹」という呼び掛けが、単なる形式的な敬称ではなく、主の十字架と復活によって勝ち取られた「赦された罪人の連帯」として機能している場所です。

4.足を抱く礼拝:徹底的な依り頼み

節が前後しますが、女性たちはイエスさまの「足を抱き、その前にひれ伏した」(9)とあります。この行為こそ、真実の礼拝の極致です。「足を抱く」とは、相手を離さないように必死にすがりつく姿です。真実の礼拝とは、主を遠くから鑑賞することでも、知的に分析することでもありません。自分の救い主である主イエスに対して、「あなたなしでは生きていけません」と、徹底的に謙遜し依存し、自分の全存在をかけてしがみつく行為です。

教会は、人々がこのように「主の足にすがりつくこと」を許容し、励ます場所であるべきです。強がることなく、自らの弱さを認め、復活の主の命に全幅の信頼を置く。その謙虚な姿勢の中にこそ、神の力は注がれます。

5.礼拝から伝道へ:墓から兄弟たちのもとへ

礼拝は、完結した閉鎖的な空間であってはなりません。女性たちは、空の墓(過去の死の場所)に留まり続けるのではなく、「急いで行って弟子たちに・・・告げ」(7)るために走り出しました。真実の礼拝を捧げた者は、必ず「派遣(ミッション)」へと押し出されます。礼拝で主と出会い、「喜びなさい」という言葉を頂いた私たちは、その喜びを自分のものだけにしておくことはできません。

教会は、内側に向かって閉じられた「聖域」ではなく、受けた恵みを分かち合うために、世へと向かって「走り出す」ための出発点です。送り出す共同体です。走り方は人それぞれでしょう。ある人は言葉で、ある人は奉仕で、ある人は日々の誠実な生活を通して。しかし、そのすべての歩みの中心には、「主は生きておられる」という確信が脈打っています。

6.現代における復活の証人として

マタイ28章が告げる「真実の礼拝」とは、死と絶望の場所(墓)を離れ、復活の主の招きに応えて、恵みの原点(ガリラヤ)へと歩み出すことです。

そして「教会のあるべき姿」とは、次の三点を保持し続ける共同体です。まず、御言葉の権威に立つこと。私たちは、見える状況よりも、主の宣言(御言葉)を優先します。次に、恵みの共同体であること。私たちは、裏切りや挫折を経験した者こそを「兄弟」として迎える主の愛を体現します。そして、動的な証人となること。私たちは、礼拝の喜びを携え、それぞれのガリラヤ(御言葉を生かす場)へと送り出されていきます。

私たちは今、大きな地震のように揺れ動く社会の中に生きています。しかし、復活の主は今も私たちの行く手に立ち、「喜びなさい、恐れることはない」と語りかけています。この呼び掛けに応え、主の足をしっかりと抱きしめる礼拝を捧げる時、教会は暗闇を照らす希望の光として、再び輝き出すのです。

7.困難の中にある教会へ、復活の主からのエール

会員の減少や高齢化という現実に直面すると、どうしても「かつての活気」という「過去の墓」に目を向けてしまいがちになります。しかし、マタイ28章のメッセージは、まさにそのような閉塞感の中にいる共同体にこそ、強烈な光を投げかけるものです。

「あの頃は良かった」「昔に比べて今は…」という視線は、死者に向けられたものです。しかし、イエスさまは「今、生きておられる」方です。数や年齢という数字の中にイエスさまを閉じ込めることはできません。大切なのは、過去の栄光を保存することではなく、今日、私たちの間に生きて働いておられるイエスさまの気配に敏感になることです。

また、会員が減り、自分たちが弱く感じられる時こそ、「自分の力ではなく、神の恵みによって立っている」という真実の礼拝が純化されます。大きな組織としての力は失われても、主の足を必死に抱きしめる少数の群れの中にこそ、真実の教会の姿があります。その「恐れ」を突き抜けた「喜び」の姿が、冷え切った現代社会において、何よりも雄弁なメッセージとなるのです。

祈りましょう。天の父なる神さま。主イエスさまは今もなお生きて働いておられます。聖霊を受けてイエスさまに結ばれた私たちも今や新たな使命、新たな命に生きることができますことを喜び、感謝いたします。主イエスさまに栄光が帰せられますように。救い主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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